つぶやき 知恵と智慧

写経の解説ですこし気になっていた言葉。
智慧と知恵
今回はまず、知と智、恵と慧、の違いから。
漢和辞典によると“知”と区別して、おもにすぐれた知力の場合に使われるのが“智”だとあります。
そして“恵”と“慧”は、“恵”が文字通り、ものをいつくしんだり、めぐむ力なのに対して、“慧”は仏教語で、ものごとの真実の姿を見極める力という深い意味を持っています。
だから、お坊さんは特に、知恵と智慧を使いわけて書く人が多いんです(折衷案みたいな“智恵”と書く人は、私以外あまりいないのでは……)。

さて、前回紹介した、ジュースを2人で文句無く分ける方法。もう1本ジュースを買ってくるなんていうのは知恵。これが娑婆(しゃば)の智恵だと――Aがまず自分が半分だと思うだけをコップに移し、Bが好きな方を取る。――ここまでが前回の話。
続けて、ひろさんは、仏の智慧ならどう分けるか、と次のような心温まる分配方法を紹介してくれました。AはBに、どうぞ好きなだけ飲んでくださいとジュースを渡す。もちろんBはAのために半分以上残して、もう充分ですから後はAさんどうぞと返す。でも、Aは飲み干すようなことはせずに、私ももう充分ですからとBさんに渡す。
つまり、相手を思いやる心(慈悲)が仏の智慧の土台になっているということです。智慧と慈悲は二つで一つなんです。
この話をずいぶん色々なところで使わせてもらいました。
最初はあまりに理想的な話なので“まあ、なかなかそんな仏さまのような分け方はできませんがね”とフォローしていたのですが、ある時気がつきました。愛し合っている者同士ならきっとできるだろうと(これも理想的過ぎ?)。ひいて言えば「同じ地球に生きている者同士じゃないか」という一体感があれば、仏さまのような分け方ができる筈なんですよね。

今回のリクエストの原題は「知識と智恵はどちらが役にたつ?」でした。
このことを大学1年生の長男に聞いたら「やっぱ智恵でしょ」と即答。
今回はこの若者(時々、バカモノ)の直感から出た言葉を結論にしようと思います。

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