つぶやき 心の作法

山折哲雄著 心の作法 生への構え 死への構え 2002年

大学での授業に生徒への言葉
私の話の内容はノートに書くな。話を聞いて頭の中に刻まれた事、心の底に残った事を事業が
終わった後ノートに記すのだ。

今朝ほど考えていた事を、うまく言いあらわされていました。

第4章 私の死の作法
死の作法なき死は、もはや大往生ではない。残された遺体は猫や犬の死体と同じような
生ゴミにすぎない。人間同士が平等というのではない。
猫や犬、石とも人間は平等であると。

脳死・臓器移植をまっこうから反対されています。
今読んでいる五木先生藻臓器移植には反対。のちに披露します。

断食死こそ死の作法と

けだし、次の言葉が面白い。

人間の運命というものはやはりがたい。私もある日突然病院に担ぎこまれるかも知れない。
気がついたときは、両腕に点滴の装置、鼻穴や口からは管が内臓まで差し込まれ、身動きならぬ状態
でベッドに縛りつけられるかもしれない。念願の断食もままならぬまま、次第に次第に地獄の様相が
実の周りに浮き上がってくる、。

その時は、万事休す。地獄にいってから、改めて死の作法をやり直すほかないのかも知れない。

名言。私もそうありたい。
地獄であろうと、涅槃であろうと、次の世界がある方が安心とは この事であったのか。わかった。

西行法師は断食死をされた方だとか。御調べあれ。自分の命日を決める事ができるそうな。
お腹がすいて死にそう、ではなく死ぬとの事。でも日数はかかるそうです。

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