つぶやき 反魂丹

 OB会 2日目は県内の観光。灯台下暗しとはこのこと。3箇所回ったがイズレも見て驚き、県内にも良いところがあったのだと。
県外ナンバーの観光バスが何台も入っておりました。

1点 薬の富山の紹介。言葉は使ってきたが、説明を聞いて、早速ホームページからの引用です。
皆さんも薬の富山。一度 自分の健康のためお越し下さい。

漢方薬は健康予防のためのお薬です。お為めしあれ。

■それは江戸城での小さな出来事だった
元禄3年(1690)、富山藩主前田正甫公が江戸城に参勤した時のことです。諸大名が居並ぶなかで、三春城主秋田河内守が突然腹痛を訴えられました。正甫公が印籠から反魂丹を取り出して勧めたところ、たちまち腹痛が治まったのです。あまりの薬効の早さに驚いたのが、その場にも居合わせた諸大名たち。「自領内で販売してもらえないだろうか」と申し入れが相次ぎました。他国との交流を嫌った藩政時代としては異例のこと。これが越中売薬の起源と言われています。

■「魂を呼び戻す」というので反魂丹
14世紀の初めごろ、松井源長という武士の母が重い病気にかかりました。いろいろ手を尽くしたものの、症状は悪化するばかり。あとは神仏に頼るしかないと、立山に登り一心に祈願しました。するとその夜の夢の中で阿弥陀如来から妙薬の作り方を授かったのです。
急ぎ帰ったものの、ひと足ちがいで母は亡くなっていました。嘆き悲しみながらも源長は薬を調合、母の口に注ぎました。するとどうでしょう。母は生き返り、病気も治っていました。阿弥陀如来に「まだ来るのは早い」と言われ、不動明王に「早く返れ」と背をたたかれたそうです。つまり「身体に魂を返してくれる薬」というのが反魂丹の名の由来です。(とやまの民話より)

どんな病気にも効く反魂丹は明治時代に入り 政府の目の敵。

一粒で万能薬は、西洋の薬1点主義に反するとのことで、反魂丹は 下火になるも

本物は根強い。今も薬の十まとして、そして漢方薬として見直されつつあります。
良い観光というより、勉強が出来ました。