つぶやき 思わず膝を叩く

ある方のブログ拝借


昭和十年十二月十日に
ぼくは不完全な死体として生まれ
何十年かゝって
完全な死体となるのである
     (寺山修司 「懐かしのわが家」 より)


 「先生は若くて健康でいいですね」。そんな何気ない患者の言葉に、私はしばしば傷ついたものでした。「早く病気を治して元気になりましょう」と言えない場合もたくさんあるもの。そして、そこで生じる、自分の若さと健康に対する後ろめたさに、ずっと悩んできたのです。その後ろめたさから解放してくれたのが、この詩です。「死体」を、「癌患者」「アルツハイマー病患者」と置き換えれば、応用範囲がぐんと広がります。

 「人を助けたいから医学部に入った」という医学生の志望理由の影には、「健康な自分は、患者を助けることによって、健康である後ろめたさから解放されたい」という思いが潜んでいます。裏を返せば、助けられない時は、後ろめたさに責められる運命が待ち受けているのです。

 医師免許は病者を救うための訓練を受けた人に授けられるものであり、それ故に医師免許を持つことが病者に対する後ろめたさから解放してくれる手段となると思いがちですが、常にそうとは限りません。

 どんな医学生もいずれ、自分が治せる病気ばかりではない現実から目を背けられなくなります。世の中には、医師がいなくても治る病気もあれば、医師がいても治らない病気もあります。さらには、医師がいなければ治っていたはずの病気が、医師がいたばかりに治らなくなってしまう悲劇を目の当たりにすることもあります。

とりあえず掲載
寺山さんの詩が良い


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 寺山修司は同郷の偉人だということもあって、中学生の頃から多くの著作に親しんできたが、最近彼の業績を改めて考えてみるとその諸作品の底に「引用・流用・転用」という手法が浮かび上がってきて、その視点でこの文庫を読んでみると、その言葉たち自体とは別に、寺山の活動の本質が読み取れてくる。
 一著作の中での一定の文脈から一部分を切り出してくることで、その部分が帯びていた意味合いはより自立的、あるいは孤立的になり、そんな言葉を一定の目論見の下で配列すると、編集者自身の意図がはっきりとページ上に実現される。彼の代表的なフレーズである「書を捨てよ、町へ出よう」も元々ドイツの知識人が言った言葉で、書物をもっぱら読みまくる若者が多かった当時の状況へカウンターポジションを取る為に彼が引用した言葉だった(いまでは書を読まないことの正当化に使われているきらいがあるが)。
 寺山が「引用・流用・転用」のもつ効果に自覚的だったのは明らかで、そもそもの彼のキャリアの始まりだった短歌や、他には俳句などが含まれる定型短詩形式こそは「引用・流用・転用」の装置でもあり、そうして考えると戯曲の多くも先行の有名戯曲についての流用・転用が独自の寺山の世界を作り上げる技法になっていたことがわかる。映画についても、人づての話だと流用・転用が見うけられるようだし、寺山修司の真価は「引用・流用・転用」を通じた独自の世界の構築、及びそうして残された諸作品の内容、ということになるのだろう。だからといって寺山自身にオリジナリティがなかったかといえばまったくそんなことはなく、着地点として、結果として引用元が表現していた価値付けとはまったく違う境地に至っていることでそれは証明されている。「オリジナル」と称しながら、一般に流通し、容認されている枠内でしか「オリジナル」を作らない/作れない人々(その作品はオリジナルというよりヴァリエーション、変奏曲、変奏物とでも言うべきだと思うのだが)と比べれば寺山のオリジナリティは相当の質の高さを示している。
 
 考えてみれば、日本語の成立・発展過程や日本仏教の発展過程もそんな「引用・流用・転用」効果のもとにあるし、西洋文化についても同様で、また、未開文明の分析でレヴィ=ストロースが言う「ブリコラージュ」というのはまさに寺山の営為を指している。この文庫は、寺山修司という芸術家の「職業の秘密」を、図らずも表象している1冊だ。