つぶやき 曽野綾子さん 老い

老いて得た自由・解放感 〜曽野綾子〜 << 作成日時 : 2011/02/09 12:17 >>

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 「老い」をいかに生きればよいのだろうか。誰しもがいつか必ず直面する難問である。
 昨年、「老いの才覚」がベストセラーになった作家・曽野綾子が、「老い」に関するインタビューに答えている。その内容が、去る1月27日の読売新聞夕刊に掲載されていた。
 「老い」の生き方として極めて参考になる内容なので、以下に紹介しておきたい。


―37歳の時に、老いを見据える「戒老録」を書き始めたそうですね。
 当時、女性の平均寿命が74歳で、「私も人生の半分まで来た。これから下り坂になるのだから」と思って書きだしました。
 今の高齢者には「生とか死とか、考えたことがない」という人もいますが、私は子供の時から死を見つめるタチでした。死について考え、慣れ親しむのは大事なことです。消火訓練しておけば、火事の時に少しはあわてないで済むでしょう。

―年齢とともに失うものは何でしょう。
 物欲ですね。物が欲しくなくなります。私は「捨て魔」で、戸棚に空きをつくるのが得意になりました。国家にとっては、もっと消費しないといけませんが。

―逆に年齢とともに得るものは何ですか。
 自由です。生きても、せいぜいあと何年と思えば、お金も自由に使える。それから、人から良く思われようと悪く思われようと仕方ない、という開放感です。おかげで人の悪口を言うのが上手になりました。
 「いい人」でいるのは大変です。身動きがとれなくなる。大して良くも悪くもないんです。人間って。

―高齢になると、うつ病などが増え、気がめいることも多くなります。
 健康が当たり前と思うから、そうなります。みんな気がめいる、と思ったらどうでしょう。老年は病気が増えるのが普通です。それを自分の運命としてどう受け入れるかが芸術ではないでしょうか。芸術とはだいそれたことではなく、生き方そのものですから。

―介護が必要な状態でも「人の世話になりたくない」という人もいれば、「介護を受けるのは当たり前」と考える人もいます。
 どちらも違うと思います。年をとっても世話にならない、という人は憎たらしいですよ。私は何年か前に足を骨折して松葉づえをついた時、すぐ手を貸してくださる方がいた。寄りかかるのは楽ですが、依存心が出てしまう。だから、歩きにくい道では腕を借りて「ありがとうございます」と言い、道が平らになったら手を離す。素直にお世話になることを学びました。

―日本は国家財政が危機的で経済も停滞し、みな自信をなくしているように見えます。閉塞感を打ち破るヒントはありますか。
 電気や水が絶えることなく使えて、警察や交通機関は責任感があって信用できる。こんないい国はありません。日本の悪口を言う人は、どうぞ出て行ってくださいと言いたい。
 途上国では、乾いた場所で眠ることができない人がたくさんいる。私は「雨の日も雨漏りしない所で、乾いた布団で眠れて幸せ」といつも思います。
 日本人は、今あるものを数えず、ないものばかり数えています。引き算の生き方では幸福になれません。


http://yuuyuukandai.at.webry.info/201102/article_2.html